人生ロードマップ

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タナッキーの理念『最後まで面白くカッコいい男で死ぬ』

初めまして、田中です。

タナッキーという名前でブログを書いてます。

お前誰だよーって感じになると思うので。

まず初めに自己紹介をさせていただきます。

 

駆け出しの24歳あだ名は、タナッキーよろしく!!

22歳の時に詐欺に遭い無一文になりこのままでは、まずいと思い
お金の勉強を始め様とした時に出会ったのが著書お金持ち父さん
貧乏父さんの本でお金について、

もっと向き合わないといけないと気づき、ただ今ファイナンシャル・リテラシー向上中!!

 

僕は今は会社員(サラリーマン)と個人事業主(フリーランス)の二足のわらじで活動しています。社会人4年目の22歳から事業をやっています。

22歳から24歳になるのでビジネスを始めて今年で、4年目になりますね!

 

どんなビジネスをしているのかというとインターネットを活用したビジネスと代理店営業の二つです。

 

インターネットを活用したビジネスとは、主にブログアフィリエイトやコンテンツビジネスです。

そして代理店営業の方では、資産形成コンサルやWEBマーケティングコンサルなどの無形商品、そして美容品の販売の有形商品、また人材営業などもやっています。

この2年の間だけでも様々なビジネスに挑戦してきました。これらをやってきたことは事実です。

 

では、本業の会社員の方では、何をやっているかというと自動車関係の製造業の仕事をやっています。

 

僕は、高卒でそのまま新卒として就職し、今の会社の正社員としては、18歳〜24歳の今まで働いてきているのでもう社会人6年目ということに                  なりますね。6年も務めるともはや中堅のベテラン勢になります。笑

 

そんなこんなで、24年間生きてきてそれなりに色々とやってきたつもりではありますが、まだまだ未知数なことはたくさんあります。

そんな中僕自身がどのような環境で、どの様に育ち、どのような事をやってきて成果を上げてきたか!についてこのタナッキー人生ロードマップで伝えて行けたらな!と思います。

 

とりあえず、箇条書きでも、僕のやってきたことやこれからやりたいと思っていることについて簡単に紹介して行きたいと思います。胡散臭い話もあるかとは、思いますが、それも承知でみなさんに興味をもってもらいたいので書きます。

 

では、こちらの下の記事をどうぞ⏬⏬⏬⏬

  • 寝ていても収益が毎日10万を切ることがない。
  • 月収が50万円以上ある←年収600万を超えました。
  • インターネットビジネスを活用して、23歳の時に、月収50万円を超える
  • MacBook pro1台でそれを達成する
  • 資金も才能もない状態からビジネスを学びまくったことで稼げるようになる
  • ある程度好きな時に好きなだけ美味しいものを食べる
  • ある程度好きな時に好きな場所に旅行に行くことができる
  • ネット上の資産が勝手に利益を出すので、自由な時間を以前より作れるようになる。
  • 読みたい本をたくさん読み、その読んだ内容で友達と温泉や飲み会で議論するのが楽しい
  • 本を月に20冊くらい買って、知識を高めている
  • 得た知識を使ってビジネスに応用して利益を最大化する努力をしている
  • 自分のやりたいことを事業に絡めて収益化していくことができる
  • 勉強したいこと、体験したいことにいくらでもお金を使うことができる
  • ビジネスとお金の知識を原理から学んだので、本質がわかるようになる
  • 22歳の時、webマーケティング、資産形成、化粧品、人材派遣などの代理店営業をして利益を上げる
  • 同い年の10億クラスの実業家に触れることで、初めて世界の広さを知る
  • 学ぶことで世界は広がっていくんだと確信する
  • 世界の広さを知ると同時にプライドが崩壊して素直になる
  • 故にやりたいことをやりたいと心から言えるようになる
  • 海外にいる二人の姉に英語を習い海外の人とコミュニケーションをして、知りもしなかった海外の情報の最先端に触れることができた
  • そしてそういった価値観にあう大切な友人ができる
  • 自分を高めることが面白くして仕方がない
  • FIREの民になるべくして努力を継続中
  • バイクで日本一周を目指す
  • 趣味であるスノーボードを事業にして収益化するべくして邁進中

etc

 

これが今の僕の世界線です。

 

 

信じれない世界が多いかもしれませんね。
僕も信じれない世界だと当時思ってました。

 

ちなみに余談ですが、僕はかなりのアニオタです。気づいたら仕事を放置してアニメを6時間もずっとみてしまうほどのアニメオタクなのですよ。

この症状は、直したいレベルに今も現在進行形で苦悩しています。笑

 

理念を貫くための行動指針「金、時、精、体」

理念を貫くための行動指針というものは非常に大切なものです。なぜなら理念ややりがいがないと人は、行動ができないからです。

己を律する強さを持たないと人は簡単に欲に負けてしまう生き物だからです。これは人間の本能から出る嵯峨と言っても過言ではないかと思うくらいに僕自身もよく欲に惑わされます。しかし、逆を言えば人間は欲がどの生物よりもあるからこそ欲を求めて行動し、自分のなりたい姿に到達しようと努力をできるのです。

 

要は、ないが言いたいのかというと、結局は何事もバランスをうまく取って舵を切ることが大事なのです。

「リスクなければ成功はなし」と言ったことですね。

だから人は欲深い生き物なので、「欲を持って欲を制す」このようにバランスを保ちながら自分の目標に向かって行動し続けることが大切なのです。

そして「欲を持って欲を制す」この言葉のように人間がうまくバランスを保ちながら成功をするためには、理念を貫くための行動指針が必要不可欠になるのです。では、理念を貫くための行動指針とは、どのようなものかというと…..「金、時、精、体」つまりこの4つの文字が表している事柄です。

 

なぜこのような4つの文字が大切なのかを説明すると、こういう意味です。

金…..お金

時……時間

精……精神

体……身体

の4つの事柄を示しています。僕は常に金時精体の4つの事柄の自由度が高い状態を意識しています。

 

つまり、

金銭的な自由

時間的な自由

精神的な自由

心体的な自由

この4つの自由度を上げていくというのが、

今現在僕が人生をより満足にしていくためにやっていることです。

というのは、

この4つは密接に関わってるからです。

お金がなかったら、

食べていくために、

お金を得る必要があります。

だけど、そうなると必ず働く必要があります¥。そう…お金のために!

 

しかし、この状態になると金銭的な自由がなくなるのでお金の奴隷となってしまうのです。このお金の奴隷からいち早く抜け出すためにまずは努力しなければならないと僕は思っている。なぜなら、自分が豊かにならなければ、人に優しくすることが本当の意味でできないからだ。つまり、自分に余裕がないということの現れとなる。

自分に余裕がないということは時間や精神的な面で余裕がないということになり、心に余裕が生まれない。

逆にお金さえあれば、その二つの役割は解決してしまう。

 

お金の稼ぎ方を知っているだけで、

 

自信は勝手に生まれてくるし、

 

お金に対する自由度が上がることで、

心の余裕と時間の余裕も得ることができます。

 

これらが4つの言葉に密接に関係してくるのです。

 

このブログでは、そんな4つの言葉の理念をもとに

僕の過去の経験から培ったことを生かして、本当の意味で時間を増やす方法や

心を豊かにする方法や身体をどんどん健康にしていく方法などを全力で皆さんに伝えるためにたくさんの記事を

書いていきます。

是非興味のあるかたはどしどし見て行ってください。

そして、このようなブログを書いていく活動の上で、僕の今までの過去の経歴や

経験談を聞くことにより、より一層僕の話していることやブログの内容が理解しやすくなります。

なので、これから僕の経験や経歴を共有していきたいので下記の記事を読んでください。

 

タナッキーの人生ロードマップ

群馬県に生まれる

1997年帝王切開により双子で生まれる。一分差の弟。今では親友みたいな感覚(兄)

とにかく双子で仲は良かったが、上に姉がふたりいて姉の言うことだけはず聞いていた。

運動がすきで外で遊んでいた。ゲームも好きだがすぐに飽きてしまう。

性格は素直で真面目ではあるが、どこか抜けていて自由奔放な生活だった。

人見知りだが、目立ちたがり屋だけど人前には強い。

緊張はするが、緊張を興奮と勘違いするタイプである。

 

話は小学生の頃からになるが、僕はそれなりに裕福な家庭に生まれたと思っている。両親は共働きでしたし、お金もそれなりにあったほうだ。だが、僕は一番末っ子ということもあり、服や物、おもちゃや学校で使用する道具なんかは、いつも姉や親戚のお古を使っていたきがする。

そのせいあってか、大人になった今でも服や道具は使い切るまでとことん使うような貧乏性の性格をしている。これはあまり良くはない性格だが、体に染み付いている性格でもある。

小学生の頃は、とにかくj運動がすきで外で遊んでいた。ゲームも好きだが頭を使うロールプレイングゲームは飽きてしまう達でった。

本当に外で遊ぶことが好きだったので、学校終わりの校庭解放が好きすぎて夢の楽園かのように没頭して遊んでいた少年だった。

 

今思うと、このブログを書くようになる人間とは思えないほどのアウトドア好きでしたね。

 

そんな性格もあってか、少年時代は

野球かサッカーどちらかを勧められ、野球を選び、少年野球をすることになった。

バットで打った時の気持ちよさとキャッチボールをやった楽しさが忘れられなくて野球を選んだ気がします。

いまふりかえるとそれなりに元気のいい小学生でした。

 

中学生時代は色々な経験をしましたね。僕は、頭が悪く勉強もとことんできないほうで、成績は落ちこぼれ組に毎回いたようなきがします。

なので、学習塾に毎日通わされ、勉強時間は誰よりも長くやっていた自負がありますが、そもそも勉強する目的や意思がなかったので、勉強にも身が入らず集中力もかけていたので、成績は全くといっていいほど上がりせんでした。ましてや勉強時間は長くあれだけやっていたのにもかかわらず、成績が上がらないのでモチベーションやマインドはさがる一方でした。

その結果成績はでないのに勉強はやり続ける継続力だけは、なぞに身についたと思います。

 

また、部活動では、野球部に入り毎日毎日部活を一生懸命やっていました。ほんとに外でやるスポーツは大好きだったので、部活動はとにかく楽しかったですね。

しかし、野球の実力はというとあまりうまいほうだとは思います。ましては、僕は天才肌でもなければ凡人の類でしたので、努力しても努力しても結果がでなかったです。

でも幸いなことにバッティングセンスだけはあったと思います。頭を使わないで、来た球だけを打つスタイルでしたが、ハマるときは、かなりヒットは量産できました。その逆もしかりで、打てないときはとことん打てないのが自分でしたね笑笑。

 

そんな中学生人生を送ってきた人間ですが、中学3年生の時にタナッキー人生で初めてのどん底に落ちることになります。

 

なぜどん底に落ちたかというとそれはずばり…….顔にできたニキビです。

 

僕は、思春期時代の象徴でもあるニキビが体の体質上ものすごく多く発生する体質でした。ニキビがものすごく、できるものでしたから、すぐに病院(皮膚科)に行きニキビの薬をもらったのですが、あまり効果はありませんでしたね。それでも、直したい意欲からいろんな病院やくすり、日ごろのケアまでもたくさん試してきましたが、どえれも効果が薄いものばかりでした。

 

その結果僕には、生まれてから初めてのコンプレックスが生まれました。それはもう皮肉なものです。毎日顔を鏡で見ては自分の顔が怪物みたいで気持ち悪く、いっそドラゴンボールを7つ集めてシェンロンに願い事を頼むなら、まっさきに「顔のニキビを直してくれ」と頼むくらい自分の顔が嫌いになり、コンプレックスをかなり抱いていましたね。

おかげで、もともとは明るくて陽気なキャラでしたが、落ちこぼれの陰キャに様変わりしていったのを今でも覚えています。

 

今では、肌もだいぶましになり人前にでても緊張しなくなるような、もともとの明るい性格に戻ることができました.

 

 

「精神と時の部屋」の野球部青春時代

時は流れ高校時代になります。高校は頭もあまり良くなかったので工業高校に入学しました。幸いにも高校入試は、口がまわったせいか部活も硬式野球部に入ることを言ったせいなのか!分かりませんが、何とか前期で高校に受かることが出来ました。

そして新たな高校生活が始まるわけですが、僕はスタートからすぐにこけてしまいました。なぜなら、顔のニキビがひどかったせいで、いじめられることが多かったからです。ですが、いじめられるといってもそんなにひどい、いじめをされたわけではありません。顔のコンプレックスが多くいじられキャラになっていたという事実の方が正しいですね。しかし、当時の僕に取っては、それが心の中でダメージが蓄積されていくのが良くわかりました。

 

まぁ~ともあれ高校時代の野球部の生活はなんだかんだで、楽しい思いでもあります。

練習中は厳しくて大変なことばかりでしたが、野球は好きなので楽しんでやっていまいた。

楽しかった思い出とすれば、練習終わりの部室でバカ騒ぎをしながら、話したり、レスリングゴッゴをやったり、練習や試合でも好きなスポーツを全力でプレーをして、勝ったり、負けたり、

「このプレーの時の場合はこうすれば良かった、あの時のストライクボールを打てばよかった」と野球のプレーに対してあれやこれやと話すのはとてもおもしろかったし、いい経験となった。

それでも、高校2年生の時に僕は重大な事件を起こし、僕は謹慎処分を受けました。謹慎処分の内容に関してはここでは控えさしていただきますが、そのことにより僕の人生は更なるどん底んに落ちた気分になりましたね。しかし、謹慎処分に至っては僕が全て悪いことなので、とても反省はしています。

自分で犯したこととはいえ、謹慎処分中は朝掃除をしたり、学校の授業中は指導室で反省文やたくさんの先生達に指導を1時間ずつ受け、そして極め付けは部活動中にグラウンドの草むしりをひたすら毎日5時間やるという苦行をしてましたね。夏はクソ暑いし、10月頃の夜はくそ寒くて手が悴んで作業出来ないくらい大変な思いをしました。

8月〜10月まで謹慎処分が続きさすがに謹慎処分に慣れた頃にようやく元の生活に戻ることができました。

あの頃は、僕の人生の中でも最も辛い時期でしたね…

今振り返ると懐かしい記憶ですが、あの生活はもはや囚人のような生活でしたので、17歳という年齢であの生活をしていたのは僕くらいなんじゃないかなあと思います。そう思うと17歳であの過酷な経験をしたことは今後の人生の中で、大いに役にたった経験なのではないかと今では思うことができています。

 

 

そんなこんなで、謹慎処分が終わった後、部活動を再開し、今までの練習できなかった時間を取り戻そうともう練習した結果、最後の大会にはベンチ入りを果たすことができ、高校最後の打席はツーアウト満塁のチャンスで代打に送り出され、見事に3球三振という結果で高校野球時代の幕を下ろしました。

 

ちなみに、最後の球はサイドスローから放たれるシンカーでした。今でも鮮明に覚えています。

 

色んな出来事があった青春野球部時代は、大人になる上で、いい意味でも、悪い意味でも、とてもためになる経験ができなと感じております。

部活が終わり、いよいよ将来のことを考えた時に僕は大学に行くような頭もなかったし、親からお金も出してもらう訳にいかなかったので、自然と就職の道を選びました。しかし、そこで親と初めて口論となりました。就職先を親の勤めているところにしろと親に言われ、僕は猛反発したことを覚えています。

 

なぜなら…親とだけ勤め先が一緒なら別に良かったのですが、双子の兄とも勤め先が一緒になるというのが当時の僕からは、いやでいやで仕方がなかったのが記憶にあります。親はその会社の上層部にいて、なおさら双子で入社となると会社の中の世間で「絶対に比較される」という思いが僕の心の中にあったので、ものすごい拒否反応がおき親とは猛反発して親の出したありがたいレールの上を僕は踏み外して、生きることとなりました。

 

その結果、親の提示した会社よりも業績は落ち込んでいましたが、福利厚生が豊かな会社に入社することにしました。

 

そして次の章からは、ついに社会人生活のスタートです!

 

 

どこか抜けている社会人生活のスタート

社会人生活のスタートですが、僕自身基本真面目な性格で、どこか抜けているような人間です。だから仕事始めてからの新入社員1年目は大変苦労しました。

 

何をやってもうまくいかず、たいして頭もないですし、能力や技術力も何も持っていない存在でした。

もともと工業系の高校にいたので、職業も工場系で自動車関係のラインに入ったり、ラインに入って溶接の仕事をしていたりしていました。なので最初は、たくさんのことを覚える必要があったので、とても苦労して、ようやく2、3年目にきて仕事がでいるようになった気がします。

でも、僕の関わってきた全ての仕事は、大概ライン作業がほとんどでしたので、労働収入が 僕の大事な収入源でした。

そこでは、今思えば、

まさに労働者の地獄のような場所が展開されてましたが、

働いている人は、それを疑問に思ってるようには思えませんでした。

それは僕に対しても例外ではなくて、

正社員でも時給1200円のために、時間も身体も提供してました。

ロウ付けの時に使う火の暑さに倒れそうになりながら、8時間溶接をひたすらやる話とか。

精密部屋で、宇宙服みたいな静電服を着てひたすら組み付け作業を1日1000台ほど組み付けることを8時間する話とか。

こんな仕事を4年間続けて行くうちに「僕の人生はこの仕事を永遠とやって人生のほとんどを費やしてしまっても良いのだろうか!」次第に思うようになりました。

この仕事をやって行くうちに労働者とは、過酷な仕事なんだと気付かされるようになりました。労働者とは、時間と己の肉体を授けて代わりにお金をもらうようなお仕事なので、これではいつになっても大きく稼ぐことはできないし、時間もできないそして、楽にもならないと身を挺して気付かされました。

今では、過去の話として取り上げられてますが、

当時は辛かったです。

ちなみにこの時の辛い気持ちも当時は認めることができません。

だって何しろ僕には「この仕事しかないんだから、頑張るしかない」と思っていましたから。

そんな社会人生活を送っているうちに僕は次第に社畜化しおていきました。これはもはや必然と言っても過言ではないほど、当たり前にやってきた必然的な出来事でした。そして僕は、次第にこんな風に思うようになります….「週5で働いて、残りの休みは遊ぶしかないだろ」と思うようになり、金曜日になれば、「花金だ、飲むぞ」と言って毎週飲み歩いていて、そして土日になったら夏は野球とスケートボードをやって、冬になったらスノーボードをひたすら行って遊び倒す日々の繰り返しでした。

 

こんな感じで遊んでいると当然お金は貯まるわけもなく、速攻でなくなります。

稼いでは、使って!また、稼いでは、遊んで使い切る!そんなどうしようもない社会人生活を歩んできました。

当然お金はないので、毎月貯金残高をみてはため息をついていましたね。

 

当時は遊んではいましたが、全くと言っていいほど、色恋ものの恋愛は全くと言っていいほどありませんでしたね。元々僕は中学生時代に顔のコンプレックスを抱いていたので、もうすでに社会人になる頃には、とっくに自分への容姿の自信はなくしていたので、いつの間には女性とおしゃべりするスキルが全くと言っていいほど消えていました。

なので恋愛経験は、普通の人と比べて、かなり少ない方ですね。それでも、僕が21歳のころは、とにかく恋愛やSEXがやりたくて、やりたくてしょうがない時期でしたので、自分でも可能な範囲までは、彼女を作るために頑張っていました。まずは、女性に慣れるため、ガールズバーやキャバクラ、セクキャバ、デリヘル、風俗などといった男の遊びになるものというやつ一通り全てと言っていいほど、経験しましたね笑。

 

そして、「やっぱりそうなったか」と思うほど、男遊びにどハマりしました。そこで僕は初めて、女性と遊ぶのは楽しいのだと言うことを知り、その代償としてありったけの貯金を使ってしまうほど、遊びに夢中になってしまいました。

その経験から、僕は女遊びは男の財布の紐を緩めて行くことを学びました。このことは、僕の脳内に強烈にインプットされたのは今でも覚えています。なんせ21歳当時の貯金80万円を全てそれらに使ってしまいましたからね。これは僕の中でかなり説得力のある学びとなりました。

そして、極め付けは、出会い系サイトに登録して40万をブチ込んで誰にも会えない詐欺に合うと言う経験もしてきています。こんの経験はとてもひどい話でしたね。

そもそも僕は、女遊びにハマり、そして女遊びに飽きてきたごろにどうしても彼女が欲しいと言う思考になり、出会い系のサイトに登録していました。当時は、今みたいにペアーズやテインダーみたいにいいサイトがなく、いかにも怪しいサイトしか当時はありませんでした。

そこでためしに出会い系サイトを使って何かいい出会いはできないかと試みたところ、結局は一人も誰からにも会うことができずにただ40万円ほど騙し取られて終わるという運命を辿ることとなりました。

ここでの経験で生きたなと思うことは、「出会い系やキャバクラ、ガールズバーなどで出会いを求めても本当の恋人は作れない」と言うことに気づきました。遅かれ、早かれこの事実に気づけたのはよかったなと思っています。

結局こういった女遊びにお金を使って自分の心を癒そうとしたところで、一瞬は癒されるけども、本当の意味では心は満たされないのです。

とは、言ってもこう言った出会いで本当の恋人を作れる人は、「世の中にはいるのだ」と言うのも重々承知した上で、僕には厳しい世界だなと感じています。

そんなこんなで若いうちに(18〜20歳)ためたお金の80万円位はこう言ったことに経験として使ってしまいましたね。

 

お金がなくて、カツカツ生活を乗り切るために取った行動

 

次は、お金がなくなってどうしようか悩んで末に僕自身が、取った行動について話したいと思います。

 

お金がなくなって、どうしようか?と考えていたとある1日にたまたま僕のスマホに電話がかかって来ました。

 

それが、なんの電話だったかというと、…

 

競馬詐欺の電話でした。

 

詐欺の始まりなんて、最初はこんなもんです。当たり障りなく、普通の一般人の他人と初めて会話するような感覚を装って電話をかけて話しかけてくるのです。

なので、僕から初めに伝えたいことは「見知らぬ電話番号の電話はやっぱり気をつけろ」ってことを伝えたいです。

 

ほんとにきっかけ自体はいかにも怪しいような電話からでしたが、電話して行くうちに、その人の声を信用して行くようになり、いつの間にか、その詐欺師を完全に信用してしまっている自分がいましたね。

 

詐欺の内容はというと「競馬AIの分析能力を使って馬券を当ててみないか?」と言う投資案件でしたね。

 

今冷静になって話を思い出すと、いかにも怪しい投資案件とわかりますが、当時は全くと言っていいほどお金がなかったので、冷静になって考える頭もなく、躊躇なく

お金を払ってしまったことを今でも鮮明に覚えています笑。

 

払った金額で言うと合計で、およそ80万円ほどでした

始めは、お金を出さずに試しでAI分析をして、当たるかどうか!の検証を行い、そしてあたかもAI分析であてたかのように思わせといて、

次にお金を入金し本当の馬券を買わせたと思わせて、40万円の振り込み要求をして、振り込んだ後に「今回はたまたま外れました」と言う報告を受け、

 

「次回に頼みの綱を繋げましょうと」言う謳い文句に誘われ、今度もまた40万円の振り込み要求をされて、

振り込んだ後は電話もなく馬券が外れているのを自分で確認した後に待ち受けていたのは、その詐欺師との連絡が音信不通となることでした。

 

 

その時の感情は、まさに「絶望」と言う感情そのものでしたね。

 

 

「絶望」と言う感情を味わうのは2度目でしたが、お金がまじで無くなる「絶望」にはかなりキツイ物があることを身に染みて感じました。

 

そうして僕はまんまと騙され、出会い系と競馬詐欺で合計120万円の当時にしたら大金の金額を失うことになります。

 

若干20歳にして無一文の生活がスタートされるわけです。

 

まさに20歳で無一文となった時は、人生のどん底と感じていました。

 

 

どん底におち、「お金持ち父さんと貧乏父さん」という名著と出会う

そしてどん底という、どん底まで、落に落ちたところまでいき、ようやく考え方を変えるような出会いをしました。

僕の考え方を変えるところまで、至ったきっかけはなんだったか!を話すと、それはとある日に散歩がてらに本屋に寄っていろんな本を立ち読みでもしようかなぁと思っていた時に、そこでたまたま現代でいう富の名著に運命の出会いを果たしました。

 

その本の題名は

『お金持ち父さんと貧乏父さん』

と言う本です。

 

この本は知るひとぞ知る、富の名著である。

今現代の大富豪になった人のほとんどが知っているベストセラーにもなった本である!

 

僕は当時若干22歳の頃のことで、どん底からだんだんと復帰してきた最中でした。その時にたまたま本屋で手に取った本がその名著でした。

これは僕の人生を変えるきっかけとなったバイブル的な本になりましたね。

 

この本がなかったら今の僕はいないと思えるくらい衝撃と感銘を受けた本になりました。

当時お金がなかった僕に対して、「お金とは、なんたるものか!」を教えてくれた本でもあります。

 

そこでようやく僕は、お金に関しての知識を初めて知ることになります!

 

初めての知識ばかりだったので、最初は驚きの連続でした。

例えば…

有名な話を話すと、ロバート・キヨサキが提唱したクワドラント表の事など、ビジネスをする人にとっては当たり前の話ではありますが、当時の僕に取っては衝撃の走る内容でした。

クワドラント表とは、己の収入の稼ぎ方について4つの働き方を4分割にして表した物です。

下の図解を見てみてください⏬

 

この図は、Nの文字を反対にとどるとお金持ちになれるといった図になっています。

順番通りに辿るとemployee従業員→Self-employed person自営業者→Business ownerビジネスオーナー→Investor投資家と言うふうに、このような順序になる。

従業員はいわばサラリーマンのことで、ある一定の固定給はもらえるが、働いても働いても給料が上がりにくい稼ぎ方である。

そして次の自営業者は自分のビジネスを持っている人のことを表すが、働いた分だけしか収入が入ってこないので、時間がない稼ぎ方である。

ビジネスオーナーは自分のビジネスを持っていて尚且つ他人に働いてもらい、オーナー権利収入で収入を得る稼ぎ方だ。

そして最後は、投資家です。投資家は、自分の資金を預けて他人に働いてもらい、そしてその資金で生まれた利益の数%を分けまいとしてもらう稼ぎ方である。

 

このような形で4つの稼ぎ方を図解で表しているのが、このクワドラント表だ。表現の仕方は色々とあるが、大体はこのような形で資本主義の世の中は形成されている。

 

だから僕はこの世の中の仕組みを知った時に、「僕自身がなぜ?働いても働いても貧乏なのか?」と言う理由に気づくことができました。

 

そうして僕の22年間の価値観は一冊の本をきっかけにして、あっという間に価値観の崩壊をしていきました。

 

ビジネスをスタートさせ50万円の収入そして、価値観の崩壊

そしてこの世界線を知り、僕はビジネスをスタートさせました。

この世界は、本当に衝撃的なものばかりでした。

1億を月に稼ぐ人間もいるし(しかも当時24歳)
1秒も働かなくて、月収100万切らない人もいるし、
稼ぎは、月に30万くらいなんだけど、
知識がありすぎて、様々な会社を手伝っているから、
家も食事もなんでも用意してもらえる人とか。
お金なくてもなんでも手に入る状態ですね。

意味不明な世界でした。

「俺の貧乏ってなんなんだろう」
と思いました。

僕は彼らのようになりたいと思いました。

ひたすら、
僕は、
ネットビジネスの世界。
起業の世界。
ビジネスの世界。

に憧れを抱きました。

今までサラリーマンで稼いだお金と時間を全て投じて、
ビジネスの世界のことを学びまくりました。

2020年の4月から僕は、ビジネスを始めました。
最初は、何をやればいいのか!も全くわからなかったので、お金を小額でスタートさせられるビジネスはないのか!

と調べた結果ネットビジネスや代理店営業のビジネスモデルにたどり着きました。

最初は、個人ブログをやったのですが、
なんと1か月で1万円を稼ぐことができました。

ですが、あまりの知識不足と労力に疲弊し、数ヶ月でブログで稼ぐことを諦めてしまいました。

 

最初のビジネスでうまくいきませんでしたが、それでも諦めず「次だ」と思い込み、代理店営業の仕事を始めました。

そしたらわずか1ヶ月で、1件の成約がとれ50万円の収入を手にすることができました。

「モウワケワカランワ」
価値観崩壊の瞬間です。
今まで貧乏に悩んでたのはなんだったのだろうか?
と思うのと同時に、

お金持ちの価値観、知識、思考をてにいれると、
こうも人生は変わるのか?
と希望を抱きました。

ビジネスが楽しすぎてたまらなくなったのです。

価値を生み出して、お金を稼ぐ。
この感覚が楽しくて仕方なくなりました。

しかし、喜ぶのも束の間でして、頑張って営業をしていましたが、営業の商材が有形商材で値段も高額だったため、

最初の成約以降は全くと言っていいほど、成約が取れませんでした。

これはビジネスをスタートさせて2度目の挫折でしたね。

 

その後は、1年ほど苦戦した後に、自分の営業に改善を重ね、ようやく月に2〜3件売れるようになりました。

しかし、営業は2年やってきて僕には向いていないとものすごく感じたので、ある程度稼げたところで、

一旦セーブしました。

そしてまた、個人ブログに戻りネット上で、アフィリエイトという手法を用いて、
稼ぐことになりました。

作業して、作業して、作業して、
50万円以上稼ぐことができました。
これが2021年の1月です。

本当の意味で自分の力で稼げたと言うことに喜びを感じ

どんどん自信になっていきました。

その過程で、様々な人と出会いました。

僕は彼らから素直に学びまくります。

僕は初めて、素直に人から学ぶことができたような気がします。
圧倒的な存在を目の前にすると

そうするほか選択肢がないのです。

その人は、
「年収3000万程度なら、仕組み作りを学べば行けるけど、
1億超えたいなら、もっと勉強しろ」

と言いました。

 

「仕組み作り?わけわからん」
となりつつも学びました。

結果として、

僕のビジネススキルはますます上昇するし、
その分収入もどんどん増えます。

 

尊敬している人たちに言われたように、
勉強して勉強して勉強しまくります。

学んだことを生かして、
ビジネスを作り、人に感謝されて、
それがお金になり、
またさらに学んで、パワーアップして、
価値を提供して、収益が増えて、
増えた分余裕が出るので、
ビジネスをまた作って、
また収益が増える。

もうこれはたまらんです。
一度やればわかると思いますが、
病みつきになります。

お金が手に入るというのもちろんなのですが、
学んだことが確実に価値になっているという感覚が楽しくて仕方ないのです。

プライベートも充実して、仕事も充実して、
人生がどんどん楽しくなっていきます。

波に乗りまして、
どんどんビジネスのスキルを学びまくります。

外注化して、
人に仕事をやってもらって、
勝手にビジネスを円滑に進める方法も学んで、
実践しました。

その結果、本当に何もやらずとも、
利益が上がるようになります。

このようなビジネス経験は、
知識をベースとした思考、
さらには、お金持ちの価値観を得たからできることです。

そして、それは圧倒的な自信になります。

金、時、精、体


金と精を手にしたのです。

そして、結局
心に余裕がないと、それは身体の不調にもつながります。

実際、常に僕の身体は調子がいいです。
よくわからないストレスが激減したからです。

タナッキーのこれから

僕は、ある程度お金と精神の余裕を手にすることはできましたが、時間はまだまだ手に入れることはできていません。

なので、タナッキーのこれからの目標として、

棚にあげるのは、時間を手にすることです。

僕は今だに実の所はサラリーマンを続けているし、フリーランスとして自営業者としても働いています。

ですから、毎日働いているので、時間はまだまだ足りません。

 

これからは、時間を確保するため、まずは、FIREを目指し、時間を手に入れるように努力していきます。

 

そして僕は、もともと趣味でやっているスノーボードが好きなので、いずれは、趣味の世界でスノーボード施設を作ってその経営をしたいと

試みています。

そのためには、まだまだ、勉強は必要だし、やる事もたくさんあります。

僕の夢はそう遠くないところにあるので、

全力で今の夢を追いかけたいと思います。

 

そこで、これを読んでいる皆様の応援があると幸いです。

これからも応援よろしくお願いします!!

 

以上になります。

お金を愛する男タナッキーでした。

 

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